ottori’s blog

書きたいことを書くだけの日記。日付がタイトルなのは、その日見た夢。

楽しもうとする心

何をするにしても、自分自身に楽しもうとする心がなきゃ楽しさを理解することは到底無い。何となくやってみた程度の動機でも何ら問題はないけども、それを取り組んでいるときになにがしかの楽しさを感じようとしなければ、結局冷めてしまう。今までは、義務感でやってきたことがほとんどだった。これをしなければあとで後悔するから、やっとこう、みたいな。そんな感じて生きてくると、自分で目標を立てて、それに向かって努力することが出来なくなってくる。自分の場合は、もう遅くて、そう簡単に出来るような事でも無いような気がする。って最初から逃げ腰な時点でもう終わってる。今まで一回だけ金をためてほしいものを買うという目標を立てたことがあるけど、働くのに対人関係という障壁が大きすぎて、目標達成を諦めた。でも、楽しいことがすべてな訳もない。そんな中で、どうして取り組み続けることが出来るのか。楽しもうとしてるからなのか。それが出来なくても続けられる自信が自分にはこれっぽっちもない。生きてく上で金は絶対に必要だし、働かないなんて選択肢が出てくることは無いだろう。正直働くなんて一生御免だ、って思ってるけど。働くことのモチベなんてそんなもんだろう。幼い頃からずっとやりたいことがあって、それに向かってただひたすらに努力し、壁にぶつかっても乗り越えていけるような人は特殊なんじゃ無いだろうか。途中で諦めるのが大多数だ。自分の場合は、大分スタート地点に近いところで諦めた。生きるために働くくらいなら、生きるのを諦めた方が絶対楽だし、糞みたいな人生を歩むこともないし、何より人に迷惑をかけない。働くことの目標が、生きることになったら、多分自分は死ぬ。もしそれを続けてたとしても、それは死んでるのと同義だ。他の目標を見つけられても、障壁が乗り越えられなかったら、結局その目標も諦めて、最終的には生きてればいいやってなって、生きてく意味も見つからなければ死を選ぶのだろう。甘えたこと言ってるのは自分でもわかってるつもり。楽しくないことでもやれっていうのはごもっとも。取り組むこと、それ自体が楽しくなくても、お金というものを介して楽しんだり、なにか他の楽しさをモチベにする事も出来る。でも、それも出来ない人は何をモチベに生きていけばいいの?まあ、お金があって病む人はそれほど多くなさそうだけど。自分もそう。

甘えたこと言ってる。確かに。じゃあ、甘えてないって証明するためには何が出来る?本心でそう思ってて、それを裏付けるために一番説得力のある行動って何?病院に言って診断書をもらうこと?何度も人に話して、そう思わせること?違う。一番説得力のあることは、死ぬことだ。今の自分には出来ないことだけど、必要に迫られればやってしまうのかもしれない。