ottori’s blog

書きたいことを書くだけの日記。日付がタイトルなのは、その日見た夢。

木を隠すなら森

集団の中にいるとより孤独を感じるというのは本当だった。親戚たちが所帯持ちであると、段々自分がひとりであることかより際立って感じられた。そもそも友だちが少ない自分からすると、周りが結婚して初めて寂しさを感じるということはあまりなさそうだけど、擬似的にそれを感じられた。支えてくれる、という一方的に与えてくれるような関係でもない家族を自分と同年代の人たちが持っているのは信じられない。当人たちは、別に損得勘定で結婚をしているわけではないと思うけど、やっぱり何かしらの与えたり、与えられたりするような長所というかメリットとかを、交換し合っているのだと思う。たとえそれが無意識であろうとも。そう考えたときに、もし自分が他の人にとってあげられるようなものは特にない。正直、ただ寂しさを埋められるとかの人が多いんじゃないかと思うけど、その中で他人との差異を生み出せるほど、自分に特徴がない。

 

でも、やっぱり彼女とか家族がいるっていうのはすごい羨ましいと思う。それを得る為の障壁さえなければ、自分も欲しい。強がって別にそんなもん要らない、っていうのは障壁を乗り越えるための努力をしたくないから強がるだけ。もし、このまま年老いて本当にひとりになったとき、この強がりを後悔せずに開き直って良かったなと思えるのだろうか。そこまで行ったら取り返しがつかないから諦めているだけのような気もする。

 

最近は、自分に素直になることを意識している。そうすると、今まで気持ちの揺れ動きが大きかったのがよく分かる。そんなこと気にする必要ないじゃんと、自他ともに思うようなことでも落ち込んでしまったり、頭に残ったりしていたのだと思う。そういう思いに蓋をして、知ろうとせずに、我慢し続けた結果、死にたくなっていたのだとわかった。気にしいなのは、やはり周りとの比較での劣等感と、自分の中での理想の高さ故だった。こんなもんでも良いじゃん、って思っても周りにはそれ以上の人生を送っている人がいて、そこに居るのが自分だと思ってた。比較しても上には上がいて、際限ないから気にするな、と思っててもやっぱり気になる。これを、もっと遠くから全体を見渡すような感じで理解できたら気が楽になった。ただ、今の環境に慣れて余裕が出てきただけなのかもしれないけど。