ottori’s blog

書きたいことを書くだけの日記。日付がタイトルなのは、その日見た夢。

倒錯

LINE交換したキャバ嬢から、チョコ作ったけどあげる人いないというラインが来た。それを2ヶ月未読無視してしまった。そのライン以外も一回既読無視した。営業ラインなのか、俺の同定力では判断出来ない。しかしながら、勘違いしてしまいそうな自分もいる。なんか嬉しくなっている自分がいる。同定力が高すぎ。俺みたいなやつが勘違い野郎なんだろうな。世の中に、勘違いして恋しちゃうような人はこんな感じなんだろうな。でも、そうやって斜に構えてたら、ほんとに手を差し伸べてくれている人の善意や好意も気付けない。せめて、なんか返信くらいはしたほうが良かったよなと後悔。

 

って、過ぎた話だからこうやって言えるけど、ライン来たすぐの感情は「どうせ営業ライン」が8、「普通にニヤける」が1、「キャバ嬢とか釣り合わん」が1。そんなこと考えねえで、普通に返信してあげろよと当時(2ヶ月前)の自分に言いたい。けど、別にいま返信したって良いのにそれをしない自分が嫌いである。まじでチキン過ぎワロタ。こっちから連絡して、まるで俺が連絡したいみたいになるのが嫌なんだろうな。優位に立てなくなるから。そんなことないのに。対人関係で別に相手そんなに気にしてないから、ってわかってんのにずっと心に引っかかり続けてダメージ負うのが俺の人生だった。

 

寂しいな

木を隠すなら森

集団の中にいるとより孤独を感じるというのは本当だった。親戚たちが所帯持ちであると、段々自分がひとりであることかより際立って感じられた。そもそも友だちが少ない自分からすると、周りが結婚して初めて寂しさを感じるということはあまりなさそうだけど、擬似的にそれを感じられた。支えてくれる、という一方的に与えてくれるような関係でもない家族を自分と同年代の人たちが持っているのは信じられない。当人たちは、別に損得勘定で結婚をしているわけではないと思うけど、やっぱり何かしらの与えたり、与えられたりするような長所というかメリットとかを、交換し合っているのだと思う。たとえそれが無意識であろうとも。そう考えたときに、もし自分が他の人にとってあげられるようなものは特にない。正直、ただ寂しさを埋められるとかの人が多いんじゃないかと思うけど、その中で他人との差異を生み出せるほど、自分に特徴がない。

 

でも、やっぱり彼女とか家族がいるっていうのはすごい羨ましいと思う。それを得る為の障壁さえなければ、自分も欲しい。強がって別にそんなもん要らない、っていうのは障壁を乗り越えるための努力をしたくないから強がるだけ。もし、このまま年老いて本当にひとりになったとき、この強がりを後悔せずに開き直って良かったなと思えるのだろうか。そこまで行ったら取り返しがつかないから諦めているだけのような気もする。

 

最近は、自分に素直になることを意識している。そうすると、今まで気持ちの揺れ動きが大きかったのがよく分かる。そんなこと気にする必要ないじゃんと、自他ともに思うようなことでも落ち込んでしまったり、頭に残ったりしていたのだと思う。そういう思いに蓋をして、知ろうとせずに、我慢し続けた結果、死にたくなっていたのだとわかった。気にしいなのは、やはり周りとの比較での劣等感と、自分の中での理想の高さ故だった。こんなもんでも良いじゃん、って思っても周りにはそれ以上の人生を送っている人がいて、そこに居るのが自分だと思ってた。比較しても上には上がいて、際限ないから気にするな、と思っててもやっぱり気になる。これを、もっと遠くから全体を見渡すような感じで理解できたら気が楽になった。ただ、今の環境に慣れて余裕が出てきただけなのかもしれないけど。

 

 

いつかは報われる

見すぼらしい生き方をしてる自分が何もしようとしないのは、きっといつかは報われる日が来るのだと、根拠もなくそう思ってるからだと思った。何処かから救いの手が差し伸べられて、現状がより良くなるものだと漠然と感じている。年齢的にもまだ未来があると、自他ともにそういう認識であれば、現状にあぐらをかいてしまう。まだまだ余裕あるでしょ、とか思ってたら同い年の人とすんごい差をつけられて時すでに遅し。だから、久しぶりに会う同期とかまじで会いたくない。あまりの差に絶望しそう。

今やってることに対して、実感が全くない。例えば、車を買ったとする。高額を支払って、書類上は自分の所有物になっても、なんだかあまりに手に余るような気がして実感がない。道具として時間の制限もなく、使いたいときに使えるだけでそれ以上の愛着とか湧かないし、客観的に見て自分が所有していることが信じられない。これと同じような感じで仕事を始めたから、仕事の内容については頭に入るけど、仕事と自分の関係になると何にも話せない。何の実感もなくただ給料を見返りに最低限の仕事をしてるだけだから、やる気も起きない。

実感というか、現実感というか、今目の前で起きてる事だったり取り組んでいる事が自分の一挙手一投足で直ぐに変わるわけでも無いから、こんなフワフワとした感情になっているのかな。地に足が付いていない。なんの目的もない。自分が死んで悲しむ人が居なくなるまで生きればいいや、と生きる目的がどんどん下方修正されてきている。それさえもなんか現実感が湧かない。なんか自分が生きているのかも曖昧になって来た。スッと魂が入れ替わっても何ら問題ないだろうな。体が不自由な人が何の障害もない人に混ざって生きているのを見ていると、体だけは不自由ない自分の体と交換してみたら自分の思考はどうなるのだろうか。三日くらいで不貞腐れて何もやらない気しかしない。そう考えたら、障害を持ちながら生きてる人を一番尊敬するべき。

何の話やねん。魂の入れ替わりとか何万回擦られたネタだよ。でも、やっぱ人の立場になってみないと人と色んな感情を共有することなんて出来ない。高校生くらいで見た人類補完計画とか、まじで何いってんだコイツって思ってたけど、自分を理解してほしい気持ちと他人を理解したい気持ちは結構大きい。一つになろうとすることはやっぱ人間である前に動物としての本能なのかもしれない。ただの液体になりてー。って飛躍した思考になるのは、あまりに不器用すぎて、体や言葉を使った意思疎通に難があるからだな。普通の人は、コミュニケーションでその気持ちを解消出来るんだろうな。それとも、皆溜め込んでて我慢してるだけなのかね。どうなんだろね。なんだか、もっと具体的なことを考えてたらそんな事思わないのか。ただの考え過ぎだな。頭でっかちだよほんと。

BBQ

職場の人達でBBQの集いに参加してきた。めっちゃ蚊帳の外感を肌にピリピリ感じながら耐えた一時間は長かった。もうほんとに帰りたかったし、なんの情報も自分に伝えず誘ってきた先輩を少し恨みながら我慢してた。知り合いがその先輩くらいしかいない中、30人規模のBBQで一人炭の消化をしてる自分を少し俯瞰してみたら、涙止まらないと思う。よく頑張った。もう二度と行かん。断る時はきちんと意思表示しなきゃまたあの地獄を見ることになる。まあ、行かないで後悔するよりは行って今後に活かせるから良かったか、と無理やり自分を納得させておこう。

そういう場で、自分が色んな人と新しい繋がりを造れない人種だということが良くわかったBBQでもあった。やれば出来るんじゃね、という甘い考えで微かな希望を抱き、やっぱだめだったと、それを何回も繰り返している自分に嫌になる。もう自分は人と関わることが苦手なタイプなのに、なんか期待しちゃうんだよな。その原因は、周りのせいにしてるから、100%自分要因だと思ってないからなんだよな。今回だって、知り合いが居なかったからとか理由付け出来ちゃうし、何なら八割方そのせいで蚊帳の外になってしまったと思ってる。環境に左右されない状況で公平な視点からのコミュ力測定したらまだシャイな人くらいの判定だと思っちゃってるよ。

退屈

何もない人生になりそうで怖い。ただ会社と家の往復。一人で楽しめることはいくらでもあるけど、ふと現実に帰ると何してんだ自分は、と悲しくなる。人が多いところに居ても前より俯きがちだなと思うようになった。鏡に映る自分の顔を見たくなくなる。そんな自分でも、職場では気丈に見えてるのだろうか。

外から自分を支えてるものが何一つない。それが昔は家族だったのだと今になって思う。帰省したあとに、一人暮らしのアパートで浴びるシャワーはものすごい心細い。次の日にはなんとも思わないけど。砂漠の中にポツンと一本の柱が立っている。周りには何もない。そんな人生。人と繋がっていたいと思うくせに、いざそういう場面にあったら逃げようとする自分。何かと出来ない理由を見つけて自分を納得させる習慣がやめられない。自分の考えに集中しすぎて、他人にまで気を配ることが出来ない。何にしても見返りがなきゃ動けない。結局自己中。

あと何十年生きなきゃいけないんだ。だるい。面倒くさい。無気力な消耗戦が長すぎる。山無し谷無しの人生、それが羨ましい人もいるのかもしれないけど、今の自分からしたら激動の人生も羨ましい。と、思うけどこのまま進んでいくのも楽ではありそう。今まで絶対にこうするぞと意気込んで決めた事なんて一つもない。楽な方へ楽な方へ進んできた結果が今。最低限の決められたことの中で一番楽なものを選んできた。胸張ってこれは出来るっていうものも無い。中空の柱だ。

正月休み

正月にばあちゃんが旅立った。高校卒業後は、以前より会うこともだいぶ減っていたから、自分的にはあまり悲しさがないかもしれないと不安だったけど、流石に悲しかった。亡くなる2~3年前からボケてきて、自分が孫であることは何となくわかっている感じだけど、名前は思い出せないくらいボケていた。このとき、今までのばあちゃんは居なくなってしまったように感じたから、今回の死にもある程度心構えというか、もうじきだろうなと言う予感はあった。

しっかりと交流のあった人との死別というのは初めてで、もう溢れんばかりの涙が止まらぬものだと思ってたけど、そこまでではなかった。葬式の流れの中で、何箇所か泣きそうになる場面はあったけど、やはりずっと悲しくてどうしようもないわけではなかった。往生して亡くなったから、悲しんでもばあちゃんは喜ばないだろう。ただ、一つ心残りがあるとすれば、一人暮らしで亡くなり見つかったときには冷たくなっていたこと。その時、ばあちゃんはどんな思いだったのか。それが気になる。寝るようにして苦しんでいなかったのなら、少しは気が晴れる。

自分のことだと思うと恐ろしくなってきた。死ぬときなんか、倒れるとか、明らかに体調がおかしいとか無ければ、寝るようにして死んでたら例え近くに人がいても気付けないだろうと思う。今、一人暮らしだけど、たった今死んだら確実に助けなんて来ないし、見つかったときには絶対死んでる。意外とシは身近にあるもののような気がする。職場の掲示板に訃報が貼られるけど、一週間に一人は亡くなってる。

自分の目が届く範囲だけでもそんな頻繁に命が終わってるんだから、地球規模でみたら人の命なんて大したもんじゃない。やりたいことやって、何したって自分が楽しめることしないともったいない。なのに、今やりたくもない仕事して、気付けば一年経ってしまった。

だめだ。楽しいこともあるのに、文字に書き起こすとネガティブな部分に引き寄せられていくような感覚になる。極楽浄土に行けばポジィティブになれるはず。

結局変わらない

今までの人生で引っ越しを6回した。しかもかなり短い期間に何度も引っ越しをした。そして、今自分がしみじみ思うことは、やはり生まれ育った土地が一番良かったように思う。そこは、いわゆるニュータウンと呼ばれる郊外にある新しく開発された住宅街なのだが、それに加え大型のモールやらなんやらがも在り、とてつもなく便利な街である。土地の広さも十分あり、一つ一つの店が大きいし、住宅街も計画されたもののようだし、ごみごみしている印象が全く無い。子供にとっては、広い公園もあるし、友達の家に一人で遊びに行くこともできる距離感でとても心地が良いと思う。少し行けば、ちょっとした買い物もできるし、遊ぶ所もある。そんな感じで、子供の頃にいたあの街が自分にとってのベストタウンである。

 

しかし、高校に入ったあたりから少しその街にも不満が出始めた。買い物をするには、あまりにファミリー向けのお店ばっかりだったし、若者向けの店はあまり無かったから。しま○らやアベイ○、パシ○ス、西松○、住宅展示場、カーディーラー、など、高校生が行行ったら場違いな所ばっかだった。そんなだから、高校で出会った人達の地元が都会に近かったりすると、とても羨ましかった。何がそんなに羨ましかったのか、今は正直思い出せないけど、ただ家が都会に近いだけで、きらびやかに見えたのだ。自分の地元を教えると、田舎だね、と言われることが多かったから、尚の事都会への憧れがあった。

 

その時、なぜそう思っていたのか、今になってはっきりとわかる。電車という交通手段でしか行けないから、都会がすごい遠くて手の届かないものだと思っていたから。電車で行けるし、長時間かかるわけでもないけど、それが細い繋がりに感じた。いま、車を持って、行こうとすれば行きたいときに行けるから、それがすごい近くにあると感じれる。それに、何度も引っ越しをしてそれよりも遥かに交通の便が悪いところにいたこともそう感じさせる要因だと思う。

 

そんな訳で、地元に戻りたいです。どうにかしてください。人事の人。