ottori’s blog

書きたいことを書くだけの日記。日付がタイトルなのは、その日見た夢。

うまくいった試しがない

人生うまくいった試しがない。本当につらい記憶が、ある。楽しいことも同じくらいあったはずなのに。いま思い出せる楽しいことと、つらいこと、をあげてみる。

 

楽しい嬉しいこと

小学生、バスケの大会でMVPに選ばれたこと。

中学、京都修学旅行。

高校、なし。

大学、友達と北海道旅行、スキー。

 

つらいこと

小学生、特になし。

中学、親に育て方を間違ったかも、と言われる。

高校、文化祭の劇で、役をやったとき、愚痴をいわれる。

大学、サークルメンバーに嫌われる。隣に立ってた奴がささっといなくなる。スキーを下手くそだと言われる。飲食店のバイト先で、使えないと言われる。うっとおしそうな顔をされた。他のバイトでは、おばさんに小声で愚痴を言われる。自分に聞こえる声だった。ただ、おばさんに言われたときは、なぜだかすっと「自分が悪いかも、そういう人だし」ってな感じで、流すことが出来たかも。

 

ぱっと思い出せるやつだけだから、新しいことが断然多いけど、やっぱつらいことの方が多い。しかも、全部人間関係。これって全部自分が悪いのかな?多分そうだと思う。奇跡的に友達には恵まれているから、どこのタイミングでも友達と呼べる人はいたと思いたい。でも、そんな人たちが、こんなに人間関係がへたくそな自分に付き合っていてくれるのが信じられない。だから、本当に心配してくれる人がいると、感動して泣いてしまう。高校のとき、文化祭が終わった後、教室の隅で落ち込んでたら、クラスメイトが、心配してくれて、泣いた。まじで、あの時は嬉しいし、自分が不甲斐ないし、愚痴をいってた奴らに腹が立つし、よくわからんかった。

 

大学は、本当にくそみたいだった。友達と呼べる人はいたと思いたい。けど、本当に友達だったのかわからない。スキー下手くそって言われたの絶対忘れないからな。でも、それくらいのことなら全然スルーできるくらいには、色んなことを話したのかな?でも、結局本音をいえる人っていうのは一人くらいしか居なかった。本当は、根暗で、ネガティブで、何にも出来なくて、ウジウジしてる自分を出すことはなかった。でも、それは間違ってなかったはず。だって、そんなこと話しても生産性ないし、先に進めないもの。そんなことを、話して共感してくれる確率と、こいつきっしょ、価値ねえわ、と思われる確率を比べたら、後者の方が高いだろう。だから、自分がそう思われない為に、少し攻撃的な発言をしたり、白黒はっきりさせるようなことを言うようにしていた。本当は、自分の考えなんてみじんもないくせに、みんなが考えているだろうな、と言うことを勝手に推測して、それをさも自分の意見かのようにいっていた。そうして、周りに同調したつもりになることで、無意識に周りに嫌われないようになろうとしていた。

 

自分の考えなんてない。だから、バイトとかで指示が特になく、自分で仕事を探して動くことが、出来なくなっていた。自分では、指示された内容については、徹底していたつもりたが、その指示が、なくなったとき、または、おおざっぱな時に、わからなくなるから、バイト先で嫌われるのだと思う。要領もよくないし、数字の打ち間違いとかしてしまっていたから、そりゃ嫌われるよね。さらに、自分の面白い特徴とか、話したら面白いとか、仕事以外でもプラスの面がなかったら、そりゃもうおしまいだわ。それが、サークルメンバーに嫌われたことかも、わかるよね。コミュニケーション力がないことも証明されてしまっているよね。悲しいことに。

 

サークルメンバーに嫌われた時よりか、バイトで使えないって言われた時の方がつらかった。まっすぐな悪意というか、愚痴と言うか、嫌悪と言うか、まあ、負の感情の対象に自分がなった、という事実を初めて体験したからだと思う。しかも、又聞きとかではなく、自分の耳でしっかり聞いたから、つらかった。それまでの自分はまあ、比較的やればできる子だ、とか馬鹿みたいに思っていたから、その落差にやられた。まじで、辛すぎて友達の前で泣いてしまったのは忘れられない。そんな経験から、バイト先が悪かったんだよ、と言われ、それもそうだなと思い、バイトを辞めたあと、今度はサークルメンバーに嫌われるわけだ。ろくに話してもいないのに、嫌われた。もしかしたら、なんか悪いことをしてたかもしれないが。自分的には嫌われる程、話してないのに、だ。ここまで来たら、流石に周りのせいにできなくなってきて、自分がまずいのではと思うようになった。

 

そうして、自己肯定感なんて、ちりぢりに散って跡形もなくなった。昔から、その気はあった。近しい事例に、昔から人を遊びに誘うことがなかった。他人を楽しませることが出来ないと誘っちゃだめだ、と思っていたから。そして、自分と一緒にいても楽しませてあげることなんて、出来ないと思っていたから。性格といえば、そうなのかもしれないけど、遊びたい、と思ってもまず相手の予定とか、趣味とか、話題とかがないと誘えない。まあ、性格なのかもな。遊んでるときも、結局最後の頃には帰りたくなってるしね。

 

話は逸れたが、こんな自分に友達がいるのが不思議でしょうがない。自分なんて、話しても面白くないし、なんか自慢出来るようなこともないし、本当に不思議。だからって、そんな良い人達に、慰めてもらおうなんて、微塵も思わない。だって、幸せなの自分だけだし、そんなことを愚痴ったら友達も励ましたり、茶化したり、まあ、親密度によって差はあれど、反応に困ってしまうだろうから、そんなことは言えない。でも、そういうところを伝えてみることでしか、出来ない人間関係とかもあるのかな。今まで、人間関係でうまく言った試しが、本当に少ししかなくて、ほとんどが駄目だったから、自分の中身が本当に無いこととか、面白くないこととか、根暗なこととかを受け止めてくれる人と出会えたらいいな。ただ、そのときは、100%受け身の姿勢ではないように、少なくとも、自分の考えてることくらいは理解している状態には、しておきたいな。